今回は声優と俳優の違いについてです。
どちらも芝居をする人という面では同じです。
しかし明確な違いがあります。
では、どこが違うのか
声を使うか身体全てを使うか
これはわかりやすいですよね。
俳優は身体全てを使って芝居をします。
俳という漢字の意味は面白いことを言ったり、したりして人を楽しませること(別の言い方で『わざおぎ』といいます)です。
それに優れたと書いて俳優となります。
つまり人を楽しませることに優れた人というわけですね。
俳優は表現の方法として台詞、表情、身振りと様々なものを織り交ぜることができます。
逆にこの中の一つだけでは表現ができません。
観客も視覚、聴覚を使い表現を受け取ります。
一方、声優は声に優れたとの文字通り、声で芝居をします。
声優は声で全ての表現をしなければなりません。
声優は表情の変化や動き、これを声で表現し聞いた人にその表情や動きを想像させなければなりません。
これは声優独自の技術が必要となります。
観客側もアニメや洋画の吹き替えなど映像作品の場合は視覚も使いますが、基本的には聴覚のみで表現を受け取ります。
台詞を「読む」と台詞を「覚える」
これが大きな違いになります。
声優は台本を見ながら喋ります。
つまり
台詞を読むのが声優
声のみで芝居をするので台本を読みながら芝居をすることができます。
台詞を「吹き込む」のが声優です。
一方、俳優は身体全てを使います。
なので台本を持ちながら芝居をすることはできません。
よって
台詞を覚えるのが俳優
台詞を覚えていなければ演技をすることができません。
そして俳優の場合、台詞を「覚える」とは言いません。
台詞を「入れる」と言います。
この違いは台詞を「覚えている」のは台詞を台本なくただ言えるという状態。
台詞が「入っている」のは台詞を覚えていて、さらに体中に血肉となって入っている状態、役として喋れる状態のことを言います。
声優は台詞を暗記しない
声優は基本的に台詞を暗記しません。
それはスケジュール的な問題もありますが、芝居の面でも暗記しないほうがいいのです。
この記事でアニメと洋画のリアリティは違うと説明しました。
台詞を暗記してアフレコに臨むと不思議なことに乱暴になり、キャラクタが喋っているというよりも声優本人が喋っているような芝居になってしまうのです。
これは身体も動かせる状態になることも関係しているのかもしれません。
アニメのリアリズムが欲しいのに、映像(洋画)のリアリズムになってしまうのです。
なんとも不思議な現象ですね。
声優はやはり声に特化しているということがわかります。
求められるものの違い
声優はキャラクターに合った声を吹き込むという職人的な技術が求められます。
声を通して画面のキャラクターが喋っているように見えるようにするのが声優です。
一方、俳優は自身の身体を通してそのキャラクターが存在しているようにアーティスト的技術が求められます。
俳優本人には見えてはいけないのです。
器に魂を込めるのが声優、魂という概念を器に入れるのが俳優
みたいな感じでしょうか。
元々は同じところから始まる
声優と俳優。
違いを挙げて行ったら正直キリがありません。
が、この二つは元々同じところからスタートしています。
そこから派生して、声優と俳優に分かれるのです。
どちらのほうが優れているということはありません。
別物である以上比べることができないものだと思います。
ただ
声優は俳優でも生かせる技術を俳優より持っていなければならず、さらにそこに声優独自の技術も必要になってきます。
俳優が声優に挑戦したときに難しいと本人が言ったり、違和感があるのはここの部分だと思います。
目指すならどちらかに絞ろう
声優と俳優
どちらも目指すというのは正直環境的にも技術的にも難しいものです。
同じスポーツの枠組みだから野球選手とサッカー選手どちらでもプロになってやると言っているようなものです。
どちらにもなりたいと思っている人はどちらに腰を据えるかをはっきりさせましょう。
でなければどちらも中途半端に終わることになってしまいますよ。
それでは!